今回はノンデュアリティについてお話しさせていただきます。
など、詳しくお話していきます。
日本でも一時期ブームになったので、ノンデュアリティや非二元論という言葉を聞いたことがあるかもしれません。
ノンデュアリティの考え方は、仏教の悟りに通じるものであるという意見もあるほど本質的なものです。
しかし、そんなノンデュアリティですが、批判もあります。
この記事ではノンデュアリティとは何か、ノンデュアリティの良さからそれに対する批判まで、詳しく解説していきます。
ノンデュアリティ(非二元論)とは何か?
ノンデュアリティ(非二元論)とは簡単に言うと、「この世界はすべて一つのエネルギーでできている」という考え方です。
ノンデュアリティの考え方の軸は主に以下の2つです。
- 世界の全ては一つのエネルギーである
- 現実は幻想である
ノンデュアリティとは時間、空間、人類、動植物、物質……それらすべてが、一つのエネルギーが形を変えて現れているだけ、という考え方なのです。
また、ノンデュアリティでは「人が出来事に対して感じる感情は幻想(自意識が作り出すストーリー)だ」という見方をしています。
少し、ふわふわして掴みにくいですね。
ひとつずつ説明します。
ノンデュアリティの軸1.
世界の全ては一つのエネルギーである
ノンデュアリティの一つ目の軸は世界の全ては一つのエネルギーであるという考え方です。
人も物も動物も全て、突き詰めれば原子や分子からできており、そんな原子もすべて素粒子からできています。
この素粒子は量子論にて、波動であり粒子てあると定義されているものです。
世界の営みは、素粒子でできた原子や分子がそれぞれ、エネルギーによって変形したり移動したりすることで回っています。
これは科学的根拠とも一致する考え方であり、なかなか説得力のある話です。
量子物理学者のデヴィッド・ボームはこの話を、宇宙を1つのカーペットの模様であるという言い方で表しました。
模様が違うだけで、宇宙はあくまでも同じ1つのカーペットに過ぎないという意味ですね。
ですからノンデュアリティでは善悪などの話は出てきません。
一方が善で一方が悪であるという考え方こそ、善と悪という2つの世界が存在するという二元論だからです。
あくまで世界は一つのエネルギーでできた完全なものである、というのがノンデュアリティの考え方なのです。
ノンデュアリティの軸2.
現実は幻想である
ノンデュアリティの考え方のもう一つの軸は、現実は幻想であるというものです。
現実が幻想というと激しく矛盾を感じるかもしれませんが、考えてみてください。
今、あなたが現実に起こっていると考えていることは本当に現実なのでしょうか?
想像してみてください。
目の前に、コップを落として割ってしまい、悲しんでいる人がいるとします。
悲しんでいるのは本当に事実なのでしょうか。
事実はコップが移動して割れた、というだけです。
この場合、「悲しんでいる」というのは、人間が事実にストーリーをつけただけだ、というのがノンデュアリティの考え方です。
多くのノンデュアリティ論者の言葉を借りれば、「人間は自らがつけたストーリーを現実だと考えているが、それは幻想である」ということになります。
ノンデュアリティの起源
ノンデュアリティの起源は大乗仏教とヒンドゥー教に遡ります。
大乗仏教の考え方は、どんな人でも信仰があれば救われる、そして自分が救われるかどうかは仏に任せるという考え方です。
ヒンドゥー教は森羅万象に神が宿っているという考え方です。
共通するのは、全てのものに神や仏が宿っているという多神教であること。
そして世界は全て一つであり、分離できない存在であるという思想です。
ノンデュアリティの「世界は一つ」という考え方の起源は仏教やヒンドゥー教から来ているのですね。
日本人にとって馴染みやすいのも納得です。
仏教の教えについては「八正道」の教えを詳しく解説したこちらの記事を読んでみてください。
身近にあるノンデュアリティの3つの体験例
ノンデュアリティというのは小難しい話に見えるかもしれませんが、身近に感じられるノンデュアリティ体験の例はいくつもあります。
今回は代表的な3つの例をご紹介します。
- 愛と幸せ
- 事実と感情
- 宇宙と人類
どれも誰もが聞いたことのあるものたちでしょう。
これらを使ってノンデュアリティ体験について詳しく説明します。
ノンデュアリティ体験例1.
愛と幸せ
ノンデュアリティの象徴ともいえる愛と幸せは、よくセットで語られます。
愛は「そこにあるもの」です。
この世に生を受けていること、生きられていること、育ててくれる人がいること……それらすべてが愛です。
幸せは個人の感情です。
「才能に恵まれているから幸せ」「成功したから幸せ」「お金があるから幸せ」
こういうのはノンデュアリティ風にいえば、幻想です。
現実は完全な世界があり、人間はその一部に過ぎないのです。
ノンデュアリティ体験例2.
事実と感情
事実と感情をノンデュアリティで考えるとどうなるでしょうか。
事実はただ、起きていることであり、存在していることです。
感情は人間が感じているものであり、ノンデュアリティ的にいえばストーリーです。
つまり、感情は幻想ということになります。
事実は一つであり、それに付随する感情は後付に過ぎないということです。
ノンデュアリティ体験例3.
宇宙と人類
宇宙と人類の関係もノンデュアリティで考えることができます。
宇宙は一つ、人類は一つ。
いわば人類すらも宇宙の一部なのです。
宇宙と人類を分かつものは、人間が後付した解釈なのです。
人間は全てが一つの宇宙なのですから。
多くの人類が憧れる宇宙は、すでに自分たちが生きている世界ということになります。
ノンデュアリティになるとどうなる?
人がノンデュアリティ状態になるとどうなるのでしょうか。
ノンデュアリティ状態になったときに起こる3つの現象をご紹介します。
- 覚醒
- 悟り
- 手放す
それぞれ詳しくお話していきます。
ノンデュアリティ現象1.
覚醒
ノンデュアリティ状態になることを、よく「覚醒」と表現します。
世界は一つであり、自分もその一部に過ぎない。
感じていることは単なる幻想に過ぎない。
そうだと知ると、すっと開放されたような気持ちになります。
この開放されたような瞬間を覚醒と表現しているのです。
ノンデュアリティ現象2.
悟り
覚醒と似た現象ですが、悟りというのもあります。
悟りといえば仏教をイメージしますね。
ノンデュアリティは仏教由来なので、仏教との共通点は多いのです。
ノンデュアリティにおける悟りとは、
「現実は完璧な状態である」
という事実に気づくことです。
不足だとか不満だという感情はすべて人間から起こるものであり、単なる幻想だということです。
よく「ありのままで素晴らしい」といわれる通り、当たり前が素晴らしく幸せであるという悟りもノンデュアリティ現象なのです。
ノンデュアリティ現象3.
手放す
手放すという行為もノンデュアリティ現象の一つです。
手放すというのは単にものを捨てる行為に留まらず、なにかに対する執着や欲望といったものがなくなるという現象も指しています。
なぜノンデュアリティ状態になると手放すという現象が起こるのでしょうか。
ノンデュアリティ状態というのは、「現実はそのままで完璧である」という事実に気づくことです。
現実に満足することで、執着や欲望といったもの、今まで必要だと思いこんでいたものを手放すことができるのです。
ノンデュアリティと引き寄せの法則の3つの共通点
ノンデュアリティと引き寄せの法則には3つの共通点があります。
- 思考が現実化しているという考え方
- 今あるものにフォーカスする
- 執着を捨てる
それぞれ詳しく説明していきます。
「そもそも引き寄せの法則ってなんだ?」という方、引き寄せの法則についてはこちらの記事で詳しく解説しているのでぜひ読んでくださいね。
⇒はじめての引き寄せの法則!簡単なやり方と本質は完ペキ!恋愛や仕事、見た目まで変わるって本当?
ノンデュアリティと引き寄せの法則の共通点1.
思考が現実化しているという考え方
ノンデュアリティも引き寄せの法則も、思考が現実化しているという考え方をしています。
つまり、私たちが現実に起きていると思いこんでいるものは、自分自身の思考が現実化しているものだということです。
ノンデュアリティ的にいえば、現実に起こっていると考えられているものはすべて幻想です。
引き寄せの法則でいえば、現実は自分の思考が引き寄せているものなのです。
ノンデュアリティも引き寄せの法則も、思考の現実化という共通の軸を持っているのです。
ノンデュアリティと引き寄せの法則の共通点2.
今あるものにフォーカスする
ノンデュアリティも引き寄せの法則も、今あるものにフォーカスするという考え方をしています。
ノンデュアリティでは、全てものはそこにただ存在しているものであり、存在そのものが愛であり完成されているのだといっています。
引き寄せの法則では、今持っていないものではなく、今あるものにフォーカスしていくと、自分の幸せが見えてくるといっています。
ノンデュアリティも引き寄せの法則も、今あるものにフォーカスしているという点では同じです。
ノンデュアリティと引き寄せの法則の共通点3.
執着を捨てる
ノンデュアリティの象徴ともいえる執着を捨てることですが、引き寄せの法則でも同じことがいえます。
引き寄せの法則では、「欲しがってばかりいても欲しいものは手に入らない、今あるものにフォーカスして感謝し、執着を捨てることで幸せが引き寄せられる」といっています。
引き寄せの法則を実践する上で、なぜ執着が妨げになるのか、についてはこちらの記事で詳しく解説しています。
⇒引き寄せの法則に失敗する人=執着を手放すことができない人、の法則
今あるものに感謝するという考え方は仏教とも通ずるものがありますね。
さきほどノンデュアリティ現象で話した通り、手放すというのは執着を捨てることとほとんど同じことです。
ノンデュアリティも引き寄せの法則も、執着を捨てることで幸せになれるという考え方は同じです。
なぜノンデュアリティは批判されるのか?
そんなノンデュアリティですが、批判もあるようです。
批判の内容としては主に以下の3つが挙げられます。
- 虚無感
- バラバラな見解
- ノンデュアリストの矛盾
それぞれの見解について見ていきます。
ノンデュアリティへの批判1.
虚無感
ノンデュアリティ批判の大きな理由として、ノンデュアリティによって虚無感に襲われる人が多い、というのがあります。
ネット上でも「ブームに乗っ取りノンデュアリティに触れてみたはいいものの、なんだか虚無感がすごい」という声がちらほらあります。
ノンデュアリティの教えを、「自分たちが今まで頑張ってきたこと、努力してきたことは無意味」と受け取ってしまことで虚無感に襲われるようです。
今まで意味があると思ってきたものを否定されたような気持ちになるのでしょう。
ノンデュアリティへの批判2.
バラバラな見解
ノンデュアリティは見解がバラバラであると批判されることがあります。
ノンデュアリティには正直、定義が曖昧な部分があるのです。
ノンデュアリティの専門家といわれる人々の間でも、見解がかなり分かれているのが実情です。
そのため、信頼性が低いとみなされてしまうのですね。
これはノンデュアリティ自体の理解を難しくしてしまっている要因でもあります。
人は理解できないものを批判する傾向にありますから、理解しづらいノンデュアリティは恰好の批判の的になってしまったのでしょう。
ノンデュアリティへの批判3.
ノンデュアリストの矛盾
ノンデュアリストと呼ばれるノンデュアリティの専門家たちが抱える矛盾も批判の対象となっています。
ノンデュアリストたちは、ノンデュアリティという非二元論を説いていながら、その実二元的であるというのです。
ノンデュアリティは非二元論という考え方なので、善悪のような二元的な考え方を持たないという話は先程いたしました。
ですが、現実にはノンデュアリストたちは、一般の人々に教えを説くときにはセミナー講師という立ち位置になります。
「教える者と教えを乞う者」という構図が生まれ、当然金銭の授受も発生します。
批判者の方々は、これ自体が二元的であり、非二元論とは言えないというのです。
ノンデュアリストと人々の関係が二元的であるといわれる理由は分かりますが、この批判は少々揚げ足取りという印象もありますね。
【まとめ】ノンデュアリティの良いところを取り入れて幸せに生きよう
ノンデュアリティの教えの内容から、その批判まで見てきましたが、あなたのノンデュアリティに対する考え方はいかがでしょうか。
大事なのは、ノンデュアリティの善し悪しではありません。
ノンデュアリティの考え方を理解した上で、その良いところを取り入れ、幸せに生きることです。
ぜひ今回の記事をきっかけに、あなたの人生にノンデュアリティの考えを取り入れて、辛さや生きづらさを解消してください。
いらない執着を捨てて、幸せな人生を送りましょう。
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