悪魔信仰(サタニズム)とはどのような信仰なのでしょうか。
悪魔信仰というと、ほの暗い部屋に山羊の角を持つサタンを崇拝する人がろうそくの火を灯して、なにやら怪しげな呪文を唱え悪魔の降臨の儀式をする・・・
まるでオカルト映画のような、そんなイメージを想像しませんか。
実はちょっと違います。
そこで今回は、
3つの点についてご紹介します。
読み進めると、イメージとは違う信仰で、悪魔信仰(サタニズム)の真のメッセージとは何かが見えてきます。
1.悪魔信仰(サタニズム)とは
1966年、カルフォルニア州サンフランシスコに設立された『悪魔教会』。
設立者はアントン・ラヴェイ。
崇拝するのはサタン・・・と思いきや、
世界最大のサタニズム組織「悪魔教会」では
これを真っ向から否定しています。
「サタン」と言っているのは名目上で、
単に物質的に存在するものの総称として「サタン」の名を捉えているというのです。
アントン・ラヴェイによる悪魔信仰で言うサタンとは、
人間性のある一面、物質世界、宇宙を超越したおおいなるものの人間会でのインターフェース
という位置づけとのこと。
簡単に言ってしまえば、
人間界での物質的な人間の生き方を肯定しよう、という思想です。
といっても、好き勝手に欲望のままに生きていい、
と言っているわけではなさそうです。
ここに、『悪魔信仰(サタニズム)における9の罪』
というものがあります。
1.愚鈍さ
2.虚栄
3.唯我主義
4.自己欺瞞
5.群れに従うこと
6.見通しの欠如
7.過去の正統の忘却
8.非生産的なプライド
9.美意識の欠如
見て行くと、虚栄や自己欺瞞、見通しの欠如などが罪だとされています。
思わず「そうだよね」と賛同してしまいたくなることが羅列されていますね。
等身大の自分を知り、思いこまず、多数派意見に巻き込まれず、
自分なりの哲学を持って生きなさい、と言わんばかりです。
”悪魔”って言ってるけど、本当はいい奴の集団なんじゃないの?
と思わず思ってしまいそうです。
この”罪”の多くは、キリスト教信者、ユダヤ教信者に対するものであるとされています。
排他的、盲目的に従うのではなく、
心のうちからの自分を信じよ、というメッセージが込められています。
2.悪魔信仰の信条と11のルール
悪魔信仰の信条
1.サタンは禁欲ではなく放縦を象徴する。
2.サタンは霊的な夢想ではなく、生ける実存を象徴する。
3.サタンは偽善的な自己欺瞞ではなく、純粋な知恵を象徴する。
4.サタンは恩知らずな者のために愛を無駄にすることではなく、親切にされるに値する者に親切にすることを象徴する。
5.サタンは右の頬を打たれたら左の頬も向けるのではなく、仕返しをする行為を象徴する。
6.サタンは精神面で他人の脛をかじる者への配慮ではなく、
責任を負うべき者への責任を象徴する。
7.サタンはただの動物としての人間を象徴している。
「神から授かった精神と知能の発達」によって最も悪しき動物となってしまった人間
という生きものは、四足動物より優れていることもあるが
劣っていることの方が多いのである。
8.サタンは罪と呼ばれるものすべてを象徴する。
おおよそ罪とは肉体的、精神的かつ感情的な満足につながるものだからである。
9.サタンはつねに〈教会〉の最も親しい友人であり続けてきた。
というのも彼は長年それを仕事としてきたのである。
サタニストによる11ヶ条のルール
1.求められてもいないのに意見や忠告を与えないこと。
2.他人が嫌がるとわかるようなごたごたを話さないこと
3.他人の家に入ったら、その人に敬意を示すこと。それができないならそこへは行かないこと。
4.他人が自分の家で迷惑をかけるなら、その人を情け容赦なく扱うこと。
5.交尾の合図がない限りセックスに誘わないこと。
6.こんな重荷降ろして楽になりたい、と他人が声を大にして言っているものでない限り、他人のものに手を出さないこと。
7.魔術を使って願望がうまくかなえられたときはその効力を認めること。
首尾よく魔術を行使できても、その力を否定すれば、
それまでに得たものを全て失ってしまう。
8.自分が被らなくても済むことに文句を言わないこと。
9.小さい子どもに危害を加えないこと。
10.自分が攻撃されたわけでも、自分で食べるわけでもない限り、他の動物を殺さないこと。
11.公道を歩くときは人に迷惑をかけないこと。
自分を困らせるような人がいれば止めるよう注意すること。
それでもだめなら攻撃すること。
出典:共にWikipedia
仕返しとか、暴力的で一般的に受け入れがたい記述もありますが、
人の嫌がることをしないだとか、おせっかいをしないということでは
ごくまっとうなことを言っていると思いませんか?
決してきれいごとは言わないし、
神がすべて許してくれます的な心地よい言葉もありません。
そこに生きる潔さとプライドを感じてしまうのは私だけでしょうか?
更に、悪魔教会は、サタニズムの地上における生き方の指針として、
これらのルールを挙げていますが、わざわざ無理をしてまでなすべきことではないとも言っています。
強制ではないということが重要ですね。
宗教は歴史上、戦争や政治などにも深いかかわりがあります。
サタニストはキリスト教やユダヤ教徒とは対照的に、
自然の摂理に従って生きよ、と説いています。
3.悪魔信仰のモチーフ
悪魔信仰のモチーフはご存知の通り、
山羊の頭をしたサタンと呼ばれるものです。
なんとも禍々しいものですね。
恐ろし気な山羊の頭、
おどろおどろしい赤と黒の色使い。
このモチーフを見る限り、どうしても邪悪なものを連想してしまいますね。
なんといっても『悪魔』という字は
”悪い” ”魔物”ですからね。
上に挙げた信条がある一方で、
悪魔崇拝主義者と名乗る人達の間では
平気で生き物を生贄に捧げ、
邪悪なものを祀る儀式が行われていたりします。
それは悪魔教会の設立者アントン・ラヴェイが、
「ローズマリーの赤ちゃん」をはじめとする
様々なオカルト映画に出演したり、
ホラー文学の著名な作者たちと関係があったことによるのかもしれません。
なぜアントン・ラヴェイはオカルト映画に数多くの出演をしたのか、
真意は本人にしかわかりませんが、
既存宗教への反対極ということをアピールするためと
考えられなくもありません。
2015年にデトロイトで開かれた、
”史上最大の悪魔崇拝の祭典”の主催者ブラックモア(仮名)氏は
バフォメットは敵対者同士の和解、容認する意思、差異への賞賛を象徴しており、双対する要素を包含します
と言っています。
バフォメット像は人間も動物のうちだという思想のもとに創られた象徴であり、
キリスト教をはじめとする個人的自由の侵害を横行させる宗教へのアンチテーゼなのです。
ここで注目すべきは、サタニズムが「人格を有する悪魔に対する信仰」ではないということです。
悪魔は抽象であり、
「悪魔は自らを犠牲にして合理主義、無神論、真実を語ることを象徴」しているとしています。
キリスト教をはじめとする伝統的な一般的な宗教を
盲目的に信仰する現代人への警鐘だと言えるでしょう。
悪魔教会の思想が自分にとって都合の悪い人達は、
本当の主張を取り上げず、邪悪な部分ばかり拡大して排除しようとしています。
歴史上宗教は政治や戦争と切っても切れない存在です。
善の中の悪を見るか、
悪の中の善を見るか。
あなたはどう思いますか?
未知リッチ
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