「人は死んだらどうなるの?」
一度もこの疑問を持ったことのない人は、かなり少ないのではないでしょうか?
なぜなら、「死後の世界を見て帰ってきた」ということを、科学的に証明できる人はいないからです。
そして、臨死体験をしたという人たちの体験談を信じられないという人も多いですよね。
「死後の世界はあるのかないのか」
これは、私たちの先祖の代から、多くの人が感じている疑問です。
仏教やキリスト教など古くからある宗教でさえ、死後の世界観は違うのであなたが何を信じるかで変わってきます。
つまり、死後の世界とは? という問いの答えを導き出すには、様々な死後の世界の考え方を知る必要があります。
そこで今回は
- 死後の世界とは
- 6つの宗教による死後の世界の違い
- 亡くなった人はどこにいるのか
- 死後の世界で辛い思いをしないために今できること
この4つについてお話ししていきます。
私たちが死を恐れるのは、死後どうなるのかが見えないからとも言われています。
最後までお付き合いいただければ、見えない死後の世界に怯えることがなくなり、あなたが今できることが見えてきますよ。
死後の世界とは?人は死んだらどうなるの?
人は死ぬと、肉体という入れ物から魂が抜け出して、魂のみの存在になると言われています。
そして、数ヶ月という時間をかけて「あの世」へ行くのです。
多くの人が死後の世界について「わからないな」と感じるのは、「あの世」という表現が抽象的だからですよね。
誰かに「あの世はこういうところだよ」と言われたとしても、その人が生き返ったところを見ていないので、信じられないという人も。
私たちが死後、行く先というのは「天国か地獄のどちらか」というのが一般的に言われていることですよね。
けれど、一説によれば「天国にも地獄にも行けない人」が現代には増えているとも言われているのです。
「人は死んだら終わりだ」という価値観で生きてきた人は、自分が死んだことをすぐには受け入れられない可能性が高くなってしまいます。
自分の死を受け入れられない間は、あの世に行けずに現世を彷徨ってしまい、出口のない迷路に迷い込んでしまうのです。
そのため、死後現世で取り残されないためには、生きている間に死後の世界と向き合う必要があります。
- 死後の世界は実在する?
- 死んだことに気づかない人もいる?
- 死んだ後「無」になるって?
- 天国と地獄ってどんな場所?
- 幽界と霊界の違いは?
- 死後の世界を覚えているって本当?
信じるか信じないかはあなた次第ですが、死後の世界についてありがちな6つの疑問についてお話ししていきます。
死後の世界は実在する?
死後の世界はあるのかないのか? という疑問については、おそらくあるのではないかと考えられます。
死後の世界がないと仮定すると、臨死体験者さん達の話が全て嘘または幻覚を見たということになりますよね。
それ以外にも、御先祖様からの助言を得たり、魂や霊に関する不思議な体験をした人はたくさんいるからです。
これらの不思議な体験をした人の話を聞くと、やはり死後の世界はあると言わざるを得ないのかな? と感じてしまいます。
例えば、臨死体験をした人の多くが「三途の川を見た」と言いますよね。
自分が川を渡ろうとするのを必死に止めるのは、「あなたはまだ生きなさい」というメッセージ。
もちろん、危機的な状況で脳が幻想を作り出している可能性は0ではありません。
けれど、「三途の川を見た人全てが幻想である」という科学的証明ができないのも事実です。
そして、死後の世界があるという考えが、私たちを「死の恐怖」から少しは救ってくれているとも考えられます。
- 大切な人が亡くなっても、あの世で楽しく暮らしている
- 自分が死んだ後、先に死んだ家族とまた会える
ざっくりと分けるとこの2つの考えを持つ人はとても多いですよね。
死後の世界がないとすれば、私たちが死んだ後は「ゼロ(無)」になってしまいます。
ゼロになるということは、魂の行き先もなく現世で抱えた辛い気持ちを浄化してくれる場所もないということです。
さらに、死後の世界をないとするなら、輪廻転生もないということになってしまいます。
そのことを考えた時、
- 前世の記憶をもった人
- 臨死体験をしたことがある人
- 前世から現世の間の「死後の世界」を覚えている人
科学的根拠はなくても、このような体験を持つ人が多くいるということは、何らかの形で死後の世界があると考えたほうが自然だといえます。
じゃあ死後の世界がどこにあるのか? というのは、まだまだわからないことが多いです。
イメージとしては、私たちが住んでいる世界の上空にある感じでしょうか。
死後の世界があるからこそ、あなたの大切な人が亡くなった後も、故人をしのびながら過ごすことができるのです。
世の中には、科学で証明できないことがまだまだたくさんあるのも事実。
死後の世界を体験した人の話をすべて否定することのほうが難しいですから、「死後の世界はあるのだ」という考えは自然なことだといえます。
すぐに死んだことに気づかない人もいる
自分が死んだことをすぐに理解できる人の方が少ないと言われています。
私たちが思っている「死」というのは、肉体の心臓が動かなくなった時ですよね。
けれど、私たちの肉体は入れ物に過ぎないので、肉体の動きが止まった後も、魂としては生きています。
つまり、動かなくなった肉体がそこにある状況を、魂となった自分がみている状態となるわけです。
そうなると「私は死んだの?それとも幽体離脱しているだけ?」と混乱してしまうということ。
この混乱を招いてしまいやすい人というのは、死後の世界を信じていないまま亡くなってしまった人です。
生きている時に、死後の世界や魂の存在について理解がある人は、肉体の活動が停止した後もすぐに魂になったことを受け入れることができるといわれています。
けれど、生きている時に「あの世なんてない!」と頑なに信じていた人は、魂のまま寝たきり状態になってしまうと言われています。
さらに、突然の事故で亡くなった場合にも、自分の死後を受け入れるまでに少し多めに時間が必要です。
病気と違って、元気な状態から急に亡くなるわけですから無理も無いですよね。
病気で亡くなった人は、今までの苦しみから解放されるわけですから、「楽になった」という気持ちが強くなるとされています。
多くの魂が自分の死に気づくのは、葬儀の時です。
お線香の香りに引き寄せられ、その場にいる家族の心に寄り添う時間を多くの人が過ごします。
魂になったあなたは、人の心を敏感に感じ取れるようになっているので、家族の本音に悲しい気持ちになる人も多いと言います。
自分が死んだことを受け入れられるかどうかは、その人の状況にもよります。
- 暖かい家族の感情で未練を断ち切れない人
- 恨み辛みの感情が強いまま亡くなった人
- やり残しがあり、現世に強い未練がある人
- 生前死後の世界を頑なに信じてこなかった人
このような人は、自分の死を受け入れるのに時間がかかると言われています。
現世にとどまる時間が長くなればなるほど、あの世で安らかに過ごす時間が短くなってしまいます。
そうならないためにも、ある程度死後の世界を知っておく必要があるのかもしれませんね。
死んだ後「無」になるとは?
死んだら無になるとよく言われますが、ここでいう「無」とは「ゼロになる」とは違って、持っている悩みから解放されると捉えてください。
通常「無」というと、あったものがなくなるとか真っ暗な世界になるという怖いイメージを持ってしまいますよね。
けれどお釈迦様が説かれた、「無」の世界というのは「迷いや煩悩がなくなった世界」という意味だったといわれています。
たとえば、がんなどの闘病生活の末に亡くなった人を想像してみてください。
皆、「やっと楽になれたね」と言いますよね。
これは、病気で長年苦しんでいた生活から、やっと解放されたことで「無になれた」ということ。
病気の苦しみや、家族に迷惑をかけているという申し訳なさからやっと解放されたということなのに、「あの人は死んだからゼロになった」と考えてしまうのは寂し過ぎます。
- 死んだら無(ゼロ)になる
- 死んだら無(悩みや煩悩から解放)される
この2つのどちらで死を捉えるかによって、その人の生き方にかなりの差が出てくると言われています。
全員がそうではないですが、死んだら何もなくなると考えてしまうと、生きている時に何やってもいいんだと思ってしまいがちです。
一方、死後悩みや煩悩から解放され、神様や仏様のいる世界に行って「がんばったね」と言ってもらえると考えると、生きている時の行動も変化していくのです。
自分自身のことだけで言えば、死んだらゼロになりたいと思う人も多くいるでしょう。
しかし、先に旅立った大切な人のことを考えた時、果たしてゼロでいいと思えますか?
自分の大切な人は、悩みや辛さから解放されて死後の世界で楽しくやってると思った方が、心が救われると考える人が多いのです。
人は死んだら無になるということの意味は、何もなくなるということではありません。
諸説ありますが、その説の多くは悩みや苦しみが「無になる」ということなのです。
天国と地獄ってどんな場所?
天国と地獄というのは、ものすごく簡潔にいうと「地獄に行かなかった人が天国に行く」というイメージです。
天国というのは、苦しみがなくとても穏やかな場所というイメージですよね。
苦しみのない世界で、次の輪廻転生に備える場所ととらえる人もいます。
また、悟りを開いた人であれば、輪廻転生の輪から外れられる神様の世界に行けるという説も。
一方の地獄には様々な種類があり「生前法律違反をしなくても行く可能性がある」と言われています。
次の項目で詳しく個別にご紹介していきますが、各宗教によって天国と地獄のイメージは違います。
日本や西洋の地獄については、こちらをご覧ください。
地獄とはどんなところなのか? についてしっかりとまとめています。
鬼がいて、釜で煮られるというような「絶対に行きたくない拷問を受ける場所」というイメージは、仏教の教えによるものです。
とはいえ、仏教だけでなく
- キリスト教
- ユダヤ教
- イスラム教
など、各宗教で仏教でいうところの地獄は存在しているのです。
全てに共通しているのは、現世での行いや心の持ちようを裁かれる場所ということ。
行いが悪く自分勝手な魂であればあるほど、赦しを受けて天国に上がれるまでに時間がかかってしまいます。
死後誰もが苦しみのない天国に行きたいと思いますよね。
そのためには、地獄に行かないための生き方を知る必要があります。
天国と地獄がどんな場所なのかを知ることは、あなたにとっての「死とは?」を考えるいいきっかけになります。
辛い苦しみが延々続いていく地獄にいきたい人はいないですよね。
そして、大切な人が地獄にいくのを阻止したいという人も多いはず。
そのためには、宗教によって違う天国と地獄について知ることはとても大切なことなのです。
幽界と霊界の違いは?
幽界と霊界の違いは、死から完全な霊体になるまでに過ごす過程にあります。
地上と霊界がすぐつながっているのではなく、その間に幽界があるイメージですね。
私たちの肉体から抜け出た魂は、幽界に上がっていくと考えられています。
幽界というのは、私たちが暮らしている地上に限りなく近い世界だと言われています。
もちろん、霊界にも幽界にも階層はあるので、魂のレベルによって上層から下層まで振り分けられることに。
そして、霊界と幽界の最も大きな違いは「下の階層に行くことができる」ということです。
例えば、夫婦で幽界に行った時、妻と夫で階層が違ったとします。
その時に、階層が上の人が下に降りてくれば、地上にいた頃の様に一緒に暮らすことが可能となります。
また、自分よりも先に亡くなったペットがいる人は、そのペットとも暮らすことができるのです。
幽界での生活というのは、地上の生活から努力を抜いたものとも言われています。
つまりぬるま湯に浸かっている様な生活を送っているのです。
もちろん、幽界での生活が最終ではなく、あくまで地上の物質的な要素から抜け出し、魂を成長させ霊界へとステップアップするためのものです。
「魂が成長できずに、霊界へ上がれないとどうなるの?」というのも、当然気になるポイントですよね。
永遠に幽界にいるわけには行かないので、「修行が足りない」という意味でもう一度地上に転生していくのです。
今私たちが暮らしている中でも、霊的なスピリチュアルな世界を全く信じていない人も多くいますよね。
霊的なものを全く信じないままなくなってしまうと、幽界の下層へいくこととなります。
幽界の下層は物質的な思いがなんでも叶うので、極楽の世界と感じる魂がとても多いのです。
幽界と霊界の違いは、地上からの距離と存在する魂のレベルにあります。
死後、現世に強い未練などがない魂の全てが入る幽界と、徳を積んだレベルの高い魂のみ入れる霊界ということです。
参考程度に、徳を積むとはどういうことかをまとめた記事もご覧ください。
参考⇒徳を積むとは?今すぐできる13個のやり方と効果を解説!
転生をせずに、より高い霊界に行きたいと考えるのであれば、ぜひ参考にしてください。
死後の世界を覚えていることはありえるの?
ごく稀ではありますが、死後の世界を覚えているという人もいます。
おそらくですが、死後の世界を覚えている人の多くは、臨死体験者です。
輪廻転生を経験した人が、死後の世界を覚えていることは極めて稀なことだといえます。
⇒人は本当に生まれ変わるの?輪廻転生の意味や来世で幸せになる方法とは?
輪廻転生は魂の成長を目的としていますので、厳密には魂の記憶として前世から死後の世界のことまで全て残っています。
けれど、そのことが私たちの記憶として残っているかと言われれば、残っていないことがほとんどです。
稀に「死後の世界を知っている」という人がいますが、その多くは先ほど申し上げた様に臨死体験を経験した人です。
臨死体験というのは、あの世の入り口にはたどりついたものの、何かしらの原因で現世に戻ってきたということ。
つまり、死後の世界で暮らした経験を持つ人というのは、ほとんどいないのです。
死後の世界で暮らしたことを覚えていて、前世の記憶を持っているとすれば、霊視などで思い出させてもらった可能性も考えられます。
通常私たちが輪廻転生をする際に、前世の記憶は魂の中身にのみ残っていて、自分で自覚できる様には覚えていないもの。
全て覚えていれば、生まれ変わることで魂の修行にはならないからです。
死後の世界を覚えている人もごく稀にいる様ですが、多くの人は覚えていません。
魂への記録としては残っていますが、それを私たちが認識できる状態での記憶にすることはできないとされています。
宗教によって死後の世界の考え方は違うの?
死後の世界と一口でいっても、宗教によってその捉え方は変わってきます。
- 仏教・ヒンドゥー教
- キリスト教
- ユダヤ教
- イスラム教
- 無宗教
古来よりある5つの宗教と、我々日本人に多い無宗教の計6つに分けてご紹介していきます。
今回、仏教とヒンドゥー教をまとめているのは、死後の世界の価値観が非常に近いから。
仏教はヒンドゥー教の一部だという人もいるほど、祀っている御神体も近いのが特徴です。
そのため、今回は仏教とヒンドゥー教は同じ項目で解説していきます。
宗教別の死後の世界がどのようなものかを知ることで、あなたの中にある死後の世界に対する価値観も変わってくるはずですよ。
宗教1.仏教・ヒンドゥー教
仏教とヒンドゥー教には死後の世界はありません。
というのも、仏教やヒンドゥー教には輪廻転生の考え方があり死後しばらく経つと生まれ変わるとされているからです。
とはいえ、仏教には細かく天国や地獄について定められていますよね。
仏教やヒンドゥー教において、
- 天界
- この世(娑婆)
- 餓鬼道
- 地獄
これらは全て同時に存在する世界だと考えているのです。
つまり、死後の世界(霊界)はないと考えられています。
とはいえ、仏教とヒンドゥー教の死後の世界観は完全に一致しているわけではありません。
元々ヒンドゥー教から派生したのが仏教で、当時のヒンドゥー教から見れば、仏教が「輪廻転生」を否定したことは、かなりの異端だったといわれています。
それ以外にも
- 仏教…葬儀などには特別な意味はなく、輪廻転生を否定する考えもある
- ヒンドゥー教…解脱(げだつ)がない限り、輪廻転生は続き現在の業によって転生が決まる、火葬は聖なる儀式
この様な違いがあります。
一言に同じ宗教と言っても、その宗派によっても考え方は変わってくるので、代表的な仏教の宗派をご紹介していきます。
少し専門的な話になりますが、なんとなく死後の世界に対するそれぞれの考え方を感じていただければと思います。
高野山真言宗
- 即身成仏(人は誰でもこの身のまま仏になれる)を教えとして説いている。
- 弥勒菩薩(みろくぼさつ)の浄土である「都卒(とそつ)浄土」に迎えられると、永遠の命を得ると言われている
- 死後49日までは、7日ごとに仏の前を通る
天台宗
- 法華経を根本として多くの教えを融合させている
- 死者が極楽浄土へ引導されることを祈念する
- 密教の教えを説いていることもある
- 現代では「現愛をそのまま仏の国の様な理想郷を作る」ということで、来世を説いてはいないそう。
- 中陰期間(シャバと仏の国との間)49日までは7日ごとに供養の法要をおこなう
浄土宗
- 死後は極楽浄土へ行き、南無阿弥陀仏を唱えて阿弥陀仏にお迎えしてもらうとのこと。
- お葬式は、阿弥陀仏に迎えにきてもらうため
- 極楽浄土の目的は、先だった人との再開を果たすため
- 亡くなる=極楽浄土へ行くので、中陰の考えはない
浄土真宗
- 占いやお守りそして葬儀の友引なども否定している
- 先祖の霊が戻るというお盆の考えもない
- 浄土へ行けるのは、信仰心の高い人
曹洞宗
- 死後の世界に固まった価値観がない。
- 多数派を占めるのが、仏の子として成仏した、仏の国へ行ったというもの。
日蓮宗
- 霊山(りょうざん)浄土(霊山浄土とは、法華経の行者が進行に励み仏と同体になった場所)
- 葬儀は、死者を安らかに霊山浄土へ導くための儀式
- 現世も仏様の掌の上を飛び回っているだけなので、本質的には生前も死後も変わりはない
かなりざっくりですが、有名な宗派の死後の世界感をまとめました。
現代では、仏教信者でも輪廻転生を唱える人もいますし、死後の世界をあるというものもいます。
また、仏教やヒンドゥー教の元々の教えとすれば「死後の世界はない」となるのですが、それが全てではありません。
輪廻転生をする前に、魂が待機する場所として「死後の世界」があるという教えがあるのも事実。
同じ宗教であっても、宗派によってこれほど死後の世界に対する認識は変わってくるのですね。
様々な死後の世界を知り、自分が思う死後の世界と照らし合わせてみてください。
宗教2.キリスト教
キリスト教の死後の世界観は、カトリックとプロテスタントで異なります。
考え方が異なる理由としては、聖書の位置付けです。
バチカンのローマ教皇を頂点とし、その言葉を重んじるカトリックに対して、プロテスタントは聖書が絶対的なものであり、ローマ教皇を重んじる考えはありません。
そして、伝統を重んじて一本集権なカトリックに対して、教派ごとに教えや流儀が千差万別だと言われているのがプロテスタントです。
わかりやすくいうと、教会に神父さんがいるのがカトリックで、牧師さんがいるのがプロテスタント。
では、死後の世界観がどうなのかというと、カトリックでは5つの世界に分かれています。
- 地獄…邪悪な人間がいくところ
- 天国…キリストを信じ徳を積んだ人がいくところ
- 煉獄…天国に行く魂の浄化や洗浄を行う場所、魂の汚れのレベルによって期間は異なる
- 辺獄(リンボ)…洗礼を受けていないものがいく場所、キリストが死後復活までの間にとどまった場所
キリスト教は、契約宗教と言われていて「神との契約」つまり洗礼を受けていないものは天国にはいけないという考えなのです。
また、生まれてすぐに受ける洗礼を受けずに亡くなってしまった幼児がいく辺獄もあります。
辺獄は天国と地獄との間とされていて、一説によれば今私たちが生きている世界とあまり変わらないとも言われています。
この辺獄で、神に対する信心を改めれば天国に行くチャンスがあるとも考えられています。
一方のプロテスタントにはこの様な概念はなく、生前の信仰によって死後の過ごし方が変わるのです。
プロテスタントでは、死後パラダイスに入り復活の時を待ちます。
しかし、神を信じていないものは、死後黄泉(ハデス)に入って苦しみながら最後の審判を待つと伝えられています。
このように、カトリックとプロテスタントで死後の世界の価値観はかなり変わってきます。
もちろん、プロテスタントの信仰は教派によって変わるので、あくまでも基本的なものというふうに捉えてください。
「神を信じるもののみ救われる」というキリスト教の教えは、死後の世界でも続いているのです。
宗教3.ユダヤ教
ユダヤ教では、天国と地獄の様な明確な死後の世界というものはありません。
というのも、ユダヤ民族のみが暮らす楽園エルサレムを作ることを最終目的としているため、その目的を疎外されている現世が地獄に置き換えられるとも考えられるのです。
ユダヤ教は、旧約聖書に示された、ユダヤ民族だけを信徒とする民族宗教。
そして、一神教のヤハウェがユダヤ民族に「罪深き他国民が滅ぼされた楽園こそがエルサレムである」と約束したと伝えられています。
そして、それを実現してくれるのが救世主となるメシアなのです。
また、現世はサタンが支配するものとされているのも大きな特徴です。
このサタンは、神様と同列の位置付けてはなく天使と同じで、悪魔の使いであるという位置づけになっています。
そして、考え方の根本は善悪二元論(世の中を善と悪のどちらかで割り切ってしまうこと)で物事を捉えているとも言われています。
「死後の世界」という考え方ではなく、ユダヤ教では「死ぬこと=サタンの支配が終わる」と捉えます。
そして、そのサタンの支配が終わる終末期を待ち、時が来れば最後の審判を受け多くの人は復活します。
けれど、生前の行いなどによって恥や恥辱を受けるとも言われています。
ユダヤ教では、最後の審判によって復活する際に、生きていた時の姿で復活するとされているので、イスラエルでは火葬はせず全て土葬となっています。
ユダヤ教は死後の世界はなく、死後は土に帰るという唯物論を持っています。
死ねば終わりという考えに異論を唱える宗派もごく一部あるようですが、ユダヤ教の基本的考え方とすれば、死後の世界はないとされています。
宗教4.イスラム教
イスラム教では、最後の審判が行われるその日まで「冥界バルザフ」にとどまるとされています。
仏教のように、一人一人に対して天国か地獄かという審判が行われるわけではありません。
アッラーが最後の審判の日に降臨し、全ての魂に対して審判を行うのです。
その「最後の審判」で生前の行いによる審判にかけられ、天国と地獄に振り分けられます。
蚊を殺しても地獄に行くという仏教の厳しさとは違い、イスラム教はよっぽどの悪行をしない限り地獄にはいきません。
アッラー直々に天国か地獄かの審判が降れば、アッスィラート・ル・ムスタキーム(正しい道)という名前の橋を渡っていくのです。
天国に行く人は、道を渡ると光に包まれ一瞬で橋を渡り切ります。
一方の地獄に行く場合、道を渡るとあたりが真っ暗になり、奈落の底に落とされてしまうのです。
イスラム教の天国(ジャンナ)では、お酒や果物そしてお肉が食べ放題で、フーリーと呼ばれる少女と男性の欲を満たすことができるとされています。
一方の地獄(ジャハンナム)は、地獄の炎が燃え盛っていると記されています。
イスラム教の天国と地獄は永遠に続くとされているので、一度地獄に落ちた魂は永遠にそこにとどまり続けるのです。
イスラム教では、死後霊魂は埋葬の次の日に肉体を離れバルザフに向かいます。
ただし邪悪な魂は、冥界バルザフにとどまる時にも、終末の日まで牢獄に閉じ込められるそうです。
アッラーによる最後の審判がいつ起こるのかは明確には何もわかっていません。
しかし、イスラム教には「最後の審判のあと、天国か地獄に行く」というはっきりとした死後の世界の考え方があります。
宗教5.日本のような無宗教
無宗教者は、死後自分が一番心地いいと感じる場所に行くと言われています。
日本人には無宗教者が多いですが、死後の世界については人それぞれ様々な思いを持っているはずです。
そのため、あなたの中にある死後の世界において、魂が浄化していくと考えられます。
無宗教と一口に言っても、その考え方は千差万別です。
- 人は死んだら終わり
- 死後の世界はあると思うが、明確なイメージがない
- 死後の世界では生きている時の一番いい時に戻って生活している
- 死後の世界で一定期間過ごした後は輪廻転生する
この様に、その人それぞれで信じる世界が違いますよね。
たとえ本人が無宗教者であったとしても、日本人の多くは仏教のやり方で葬儀を行うはずです。
お坊さんに来てもらい、その家が属している宗派のお経を唱えてもらうのが一般的ですよね。
そして、仏教において無宗教者つまり信仰のない人は成仏できるのか? という議論は当然あります。
仏教を真面目に信仰している人からみると、やはり信仰していない人は成仏しないとのこと。
そして、葬儀の時だけ仏教の様式を取る人たちのことを「葬式仏教」と呼ぶ言葉もあります。
無宗教者は、自分が一番心地いい場所に魂が運ばれるというと、そんな都合のいい話があるの? と思ってしまいますよね。
実際には、仏教式で葬儀もお墓の管理も行っていくので、今まで信仰していなかった人でも戒名をつけることで、仏様に成仏させてもらおうとしているわけです。
どっちにしても、無宗教者の死後の世界観としてはとても都合の良いものと言われても仕方のないことかもしれませんね。
中には、お墓をもたずに散骨する人もいるので、やはりその個人の持つイメージにかなり左右されると言えます。
亡くなった人はどこにいるの?よく言われる説を時間別にご紹介します
あなたの大切な人が亡くなった時、とても悲しい気持ちになりますよね。
そして多くの人は「まだ近くにいるのかな?」となんとなく感じているはずです。
私たち人が亡くなっても、すぐに成仏するというわけではありません。
今はお葬式とまとめることが多いですが、一昔前は初七日にもう一度集まっていたのはこれから成仏する魂をきちんと供養するためなのです。
大切な人が亡くなった後、どれくらいの時間が経った時どこにいるのかがわかれば、より身近に存在を感じられる可能性は高いですよね。
- 死後〜24時間
- 死後24時間〜初七日
- 初七日〜四十九日
- 四十九日〜1年
この4つの区切りで解説していきますね。
誰しも大切な人が亡くなったら、悲しいですしもう会えないという辛い気持ちに支配されてしまいますよね。
けれど、死んだ後も私たちを見守ってくれているとしたら、その悲しさや辛さが少しは和らぎませんか?
あなたの大切な人を思いながら読んでみてください。
死後〜24時間
私たちが死を迎えたあと、24時間後くらいに本当の死を迎えると言われています。
その理由は、肉体と魂を繋ぐ霊子線(シルバーコード)が切れるまでに、24時間程度かかるためです。
肉体と魂が霊子線で繋がっている間は、まだ死んだとは言えないのです。
「死後の世界を見た」という臨死体験者は、この霊子線と肉体が繋がっている状態までを経験しています。
霊子線は、長さが決まっているわけではないので、どれだけ移動しても切れることはありません。
そして、他の人と絡まったりもしない不思議な糸なので、不意に切れてしまうことはないのです。
そのため、シルバーコードが切れる時は、肉体と魂のつながりが消えたと判断され、正式に死を迎えることになります。
お通夜を行う時には、亡くなった当日ではなく「1日後」に行うのは、この霊子線が切れるのを待つためです。
霊子線が切れる前に荼毘(だび)に付す(=火葬にされる)と、魂が苦しんで安らかにあの世にいけないと言われています。
死後24時間は、魂と肉体が切り離されるまでの期間です。
亡くなった人が安らかに眠るための準備が始まった瞬間でもありますね。
死後24時間〜初七日
死後数日〜初七日が過ぎるまで、亡くなった方の魂はまだご遺体のそばにいるとされています。
肉体から魂が離れた直後は、自分が死んだことにまだ気づいていません。
そのため、自分のお通夜などで集まってくれた人たちに話しかけたり、肩を叩いたりと接触を試みますが、当然誰にも気づいてもらえません。
死者は「自分はここにいるのに、なぜ、誰も気づいてくれないのか」という疑問を抱き始めます。
そして、自分を囲んでいる人たちがとても悲しい顔をしていることに気づきます。
「自分は死んだのかもしれないな」と薄々気づき始めた頃、葬儀が始まるのです。
葬儀は、亡くなった方との最後のお別れの場だけでなく、死者本人に僧侶のお経を聞かせることで「自分は死んだのだ」ということを自覚させる役割もあります。
死後1週間程度経っても、なかなか死んだことを受け入れられないでいると、いわゆる地縛霊となって「死んだという事実」を認められるまで地上を彷徨い続けるのです。
長い人だと何百年と「死」を受け入れられずに彷徨い続けることになるので、できるだけスムーズに死を受け入れてもらう必要があります。
そのために、葬儀という儀式を通して死者の魂に語りかけているのです。
ちょうど初七日と呼ばれる頃には、多くの人が自分の死を受け入れられると言われています。
そして、初七日くらいまでは亡くなった方の魂は、家や職場など故人の生前の生活空間にいると考えられているのです。
初七日〜四十九日
初七日〜49日までには、死者の魂は死後の世界へ旅立っていきます。
魂が死んだことを自覚できた時、霊的視界がひらける様になります。
この霊的視界とは、先に亡くなっている家族や友人など、懐かしい人たちの存在が見えるようになること。
そして、案内係となる霊と出会い、自分がいくべき場所へ連れて行ってもらいます。
49日の法要が行われるのは、死者をきちんとあの世へ旅立てるように送り出してあげるため。
私たちが日頃「いってらっしゃい」と家から送り出されるように、死者の魂にも「あの世で穏やかに過ごしてくださいね」と送り出してあげる必要があるといわれています。
誰しも亡くなったすぐは、残された家族が心配ですよね。
孫や子供のことが心配で、できればずっと見守っていたいと思う霊は多いです。
しかし、案内係と呼ばれる霊がいるように、「行くべき場所」はあるのでいつまでも家にとどまっておくことはできません。
しっかりと亡くなった方があの世で安らかに過ごせるように、送り出してあげる必要があるのです。
49日を迎える頃までには、案内係の霊と出会い死者の魂はあの世へと旅立っていきます。
旅立ちのサポートをするのが、初七日や49日の法要というわけですね。
死後49日後〜1年後
49日を過ぎても、時々この世と繋がり私たちを見守りに来てくれます。
この「時々繋がるタイミング」というのが、お盆や1周忌などの法要の時。
きちんと供養をすることで、亡くなった方が天国へ行き、しかるべき時が来れば輪廻転生でまた魂の修行がはじまります。
輪廻転生でこの世に戻ってくるためには、まずは天国へと行かねばなりません。
もし、亡くなった人が地獄へ落ちてしまったとしても、しっかりと供養をすることで天国へ導ける可能性があるのです。
私たちの中には、1周忌や3回忌などの定期法要の習慣がありますよね。
それ以外にも年末やお盆そしてお彼岸など定期的にお墓へお参りをすることで、あの世の再審査を受けることができるとされています。
再審査とは、地獄に落ちてしまった魂を天国に引き上げても良いかどうかを判断するもので、死後どれだけ遺族が供養をしてくれているかで判断されます。
生きている時の行いがよい人はしっかりと供養をしてもらえますし、その逆もしかりです。
この1周忌などの定期供養がなければ、再審査を受けることは不可能なので、天国へ行くきっかけを得ることができません。
早い人だと一番最初の百か日のタイミングで天国へと引き上げてもらえる可能性もあります。
49日が過ぎて1年が経つ頃には、あの世での行き先も決まり天国へと旅立った魂は輪廻転生の機会を待っています。
地獄に落ちた魂でも、定期的な法要の際に行われる審判で天国へ行くチャンスを待っているのです。
死後の世界で辛い思いをしないために今できることはある?
死後地獄で辛い思いをしないためにも、天国へ行きたいと誰もが思いますよね。
天国へ行くためには、生前の行いがとても大切です。
しかし、地獄にいくと言われている行いを一つもしたことがない人はおそらくいないでしょう。
蚊を殺しても「殺生」に含まれますし、お肉を食べることももちろん生き物を殺すということだからです。
けれど、これらの行いを悲観する必要はありません。
なぜなら、些細な嘘をついてしまったり、生き物を殺めてしまったりしても、仏様はできるだけ多くの人を救おうとしてくれるから。
そこで大切になるのは、自分の行いを反省し今後改めたいと思っているかどうかです。
そして、僧侶の見解によると、信じることが大切だと説いています。
誰しも自分の中に、「善行と悪行を判断するための神様」を持っているといわれています。
その神様に従い、良い行いをできるだけ多く実行して行ってください。
仏教の教えの中に「和顔施(わげんせ)」というものがあります。
和顔施は、あなたが笑顔でいることで誰かの幸せに繋がるという教え。
つまり、笑顔でいる努力をする=善行に繋がるという考えなのです。
では、笑顔でいるためにはどうすればいいのか? を考えてみましょう。
あなたが今笑顔が減っているのであれば、その原因をまずは知る必要があります。
笑顔になれない原因は必ずあるはずですよね。
その原因がパッと思い浮かばないとすれば、あなたの潜在意識に何か傷がある可能性があります。
- 友人に嘘をつかれていた
- 学生時代にいじめられていた
- 親から認めてもらえずに寂しかった
など、自分が些細なことと思っていても、潜在意識には傷がついてしまっていて、あなたの笑顔を奪っているかもしれないのです。
潜在意識に傷があるかどうかを知るためには、まず潜在意識について正しく知るところから始めてください。
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潜在意識にアクセスし、そこにあるトラウマや傷を取り除くことで、心からの笑顔を取り戻すことができます。
その結果「善行」が増え、天国に行ける可能性が高くなるのです。
「心からの笑顔で周囲を幸せにすること」が善行だとするならば、最大の悪行とされるのが自殺です。
自殺は与えられた命を自らの手で断ち切り、あなたの周囲の人を悲しませてしまう行為。
一説によれば、自殺した魂は地獄と同等の苦しみを与えられるといわれています。
時間の概念のない死後の世界で、終わることのない後悔の念や苦しみから解放されることはありません。
そんなことにならないためにも、自殺だけは絶対にしてはいけないのです。
死後、誰だって地獄には行きたくないですよね。
地獄に行かないためには、生きている間にしっかりと心を正して善行を増やす必要があります。
あなた自身が幸せだと思えていないと、なかなか良い行いはできません。
天国へと行くためにも、潜在意識としっかり向き合ってみてください。
【まとめ】死後の世界は無ではなく実在する可能性が高い
「死後無になる」と確かにお釈迦様はおっしゃいました。
けれど、その「無」というのは、存在そのものがなくなるという意味ではなく、悩みや辛さがなくなるということなのです。
死後の世界は、もしかすると残された私たちのために存在するのかもしれません。
亡くなった大切な人が、あの世で幸せに暮らしていると思うことで、救われる気持ちもありますよね。
それに、死んだあとに何かしらの救いがあると考えたほうが楽な気持ちで生きていくことができます。
だから私たちは、死後の世界について想像したり考察したりするのかもしれませんね。
けれど、死後の世界はただの想像上のものとも言い切れません。
臨死体験者の話などを完全に否定することもできないからです。
もし、実際に死後の世界があると仮定すると、できるだけ天国に行けるように今からいろいろケアしていきたいですよね。
その一つが、先ほども申し上げた潜在意識のケアです。
潜在意識にトラウマがない状態にしておくことで、良い行いができるようになるのです。
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あなたが今、天国へ行ける様に善行を増やしたいと思ったのなら、プロから潜在意識について学んでください。
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善行を増やせるようになると、天国へ行ける可能性も高くなりますよ。
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